「新島楽園・新島学園」学校法人新島学園 理事長 学園長 湯浅康毅 |
この度は2024年度新島学園中学校高等学校同窓会会報・根笹の発行、誠におめでとうございます。今回もこうして紙面を通して同窓生の皆様にご挨拶をさせていただく機会に恵まれ感謝しております。
日頃根笹会の靜会長様始め役員の皆様、各地区根笹会の会長様をはじめ同窓生の皆様には母校・新島学園のことをいつも心に留め、応援いただき誠に有難うございます。
今年も昨年同様本部総会も無事終わり、各地区根笹会総会及び懇親会の開催も順調に行われ、同窓生同士の交流も更に活発になり大変嬉しく思います。また開催の折にはいつも私含め校長並びに法人本部の関係者もお招きいただき誠に有難うございます。
根笹会の交流がより多くの新たな同窓生にご参加いただきますます進化と同時に深化され、私ども新島学園もその発展と共に歩んでいただきたいと願っております。
さて今年新島学園は創立77周年を迎え、春には79期生・中学1年生を礼拝堂でお迎えし新たな歴史の1ページが刻まれました。いつも講壇の上から見下ろすようなかたちで新入生と保護者の皆様と対面いたしますが、この時にいつも思うことは生徒、保護者の皆様に仕える立場として現在の使命を新たにさせていただいていることです。短い一生の中で一番体と心が成長するかけがえのない時にできる限り良質で本物の思い出を提供できる学び舎として歩んでいくことが出来るように、その心をいつも中心に置いて大切にしていきたいと思っております。
2017年に掲げました創立70周年ビジョン「NIIJIMA GAKUEN GRAND DESIGN 2027:木を育てる。」は10年長期計画としてこれまで歩んできましたが、目標の2027年まで早くもあと残り3年ほどになります。
現在まで進めてきているコンセプトである「良心を育むためのソフトとハードの再整備」も皆様より多大なご協力をいただき「いのちの教育」を始め数多くの新島学園らしい取り組みを重ねることができております。
既に次の80周年ビジョンは「NIIJIMA GAKUEN GRAND DESIGN 2037:林を育てる。」としていることから、2037年の学校運営の在り方を見据えた時に求められる、森を育てるような有機的に成長していく新島学園の姿を今後お示ししていきたいと思います。
現在OECDによる最新のPISA調査(学習達成度調査)によると、一時期落ち込みのあった日本はコロナ禍を経て再び世界トップレベルとなり、特に韓国、台湾、リトアニアと共に「レジリエントな国」として評価を受けていますが、一方で世界的な教員不足の状態が続く中で、また超少子化が進んでいく中で如何に教育支援システムの構築含む最適な学びの環境を備えていくかが問われています。
一方で日本は世界の中で最も深刻なレベルで少子高齢化が進み、社会的格差が広がっていると同時に教育格差も広がっており、今後の国力の衰えに比例して教育の多様化が進むこととなり、結果的に教育の質低下に繋がると懸念されています。
身近なところでは最新の出生数を参照し、12年後に本学に入学する人数を想定すると現在の入学者数の半分になります。現在の在籍者数がおよそ1200名だとすると将来的には600名になってしまうわけです。特に都心部は別として地方都市である当地においてはその影響は大きく現在のまま何も変化なく進んでいくとその数は更に減少していくと予想しています。遠い未来のように感じますが実はあっという間に目の前にこのような状況が迫ってきているのが事実であります。また一方で教育の多様化が進む中で、これからの教育に対して更に期待が高まっていることも肌で感じています。
加えて昨今学校関係者で話題となるのが、来年からの私立学校法改正の件になります。来年度より、理事選任機関の新設、理事と評議員の兼職禁止、監事を評議員会が選任する、職員評議員・理事または理事会が選任する評議員の上限設定、定時評議員会の概念の登場、学校長や重要な職員の理事会選任等、過去に例のない大規模な法改正が行われ、本学を含む各学校法人は寄附行為の改正を行わなければならなくなりました。
このように教育関係を一つ例にとってみても上下左右含む360度全方位から様々な状況に直面しており、一部硬直化が進んでいるように感じています。
学びの自由が赦されていることが大きな特徴の一つである、建学の精神に基づき立脚している私立学校の特長・特性が希釈され、どの学校も似たような教育機関になっていくのでは、と危惧していることも正直に申し上げなければなりません。
以前にも申し上げましたが大切なことは、学校法人新島学園は「私立学校」という存在であるということです。私立学校とは学校教育法、私立学校法で定められている、国立、公立でない教育機関です。私立学校振興助成法により補助金の交付を受けることから公共性が求められます。
戦前教育への深い反省に立って、公教育への民間参入の日本独自の制度として、「学校法人」制度は発足し、この学校法人制度により各学校が創意工夫を持ってより良い教育を行える「自主性」と、そのような教育を行うからこその「公共性」を兼ね備えています。
私立学校とは、国・県・市・地方公共団体が設置した教育機関ではなく、「人の志」が中心にあり設立された教育機関であることです。また建学の精神・理念が根幹に定められ、設立の趣意によって独自性が本質的に守られている。また私立学校はその独自性である建学の精神、教育方針、教育理念を実現する「自由」が本質的に守られていると認識しております。
昨今、いたるところで多様性・ダイバーシティという言葉がグローバルスタンダードとして認知され、個々の存在や個性が認められるようになってきましたが、日本における私立学校という存在自体がそもそも多様性・ダイバーシティの象徴であると言えると思います。
この流れにあって、私立学校の運営に対して常に考慮しなければいけないことは「外部環境変化の理解と主体的な取り組み…理念の具現化」の2点でありバランスが取れた運営が求められます。
外部環境変化の理解とは、学校教育法・私立学校法によって定められている学校法人として法律に則った運営と同時に時代の変化に対応した運営が求められます。
一方で主体的な流れとして、建学の精神の実現や特色のある教育を実践する私立学校の独自性が守られていることにより、自らの計画性と実行性を担保した主体的な意思決定が反映される運営を心掛ける必要があります。
私が現在の立場を担わせていただいている中で強調し、就任以来心掛けてきたことは後者の方です。常に判断基準が上からや横の何かではなく、自らのことは自らが決めることです。この点が私立学校に赦されている「自由」の定義であります。
外部環境変化をどのように我々の建学の精神・教育理念というフィルターを通して生徒・学生の皆さんの成長に寄り添い奉仕できるのか、体制として構築できるかどうかが今後益々新島学園に問われていくことです。
この中で一つこれから新島学園の価値として捉えておかなければいけないことは「新島楽園」だと思っています。この言葉は私の在学時には耳にしたことが無いワードですが、いつのまにか新島学園を象徴する、どちらかというとある一部の関係者が揶揄や皮肉を込めて使い始めた印象を持っています。
新島学園での生活は楽しすぎて勉強しない、部活動一流・勉強二流、一般受験に弱い学校等々、学校というところは勉強が本分なのに楽しいとは一体何ぞやというお叱りの意味も込めて生まれた言葉なのだと理解しています。
たしかにこの言葉が生まれた背景をそのまま今後も本学を象徴する言葉として継承することは反対ですが、別の視点から考えてみることも必要だと思った出来事が最近ありました。
それは「NIIJIMA GAKUEN GRAND DESIGN 2027:木を育てる。」のコンセプトである「良心を育むためのソフトとハード再整備」を具現化するために中高より先行して2020年に新島学園短期大学キャンパス内に新たに教育施設「新木造校舎」を備えましたが、最近こちらで開かれた集会に初めて参加させていただきました。
この校舎は創立100周年時に実現を目標としている「新島学園の森づくり」をイメージし、設計士の手塚貴晴氏が本学の今後構想しているストーリーから旧約聖書・創世記に出てくる「エデンの園」をオマージュしたもので、2021年にはポルトガルのリスボンで開催された世界建築祭の宗教部門で1位を獲得するに至りました。今回この場所で初めて祈祷会が開催され、「エデンの園」について理解を深めることができました。
本年度から中高出身・48期生で現在日本基督教団渋川教会の主任担任教師をお務めいただいている臂奈津恵先生が短期大学の宗教主任にご就任いただいており、この祈祷会の進行と感話を担当されました。この時に一緒に参加されたのは中高宗教主任の楠元桃先生でした。現在新島学園では、本学出身の卒業生が新島学園の根幹であるキリスト教教育の実践を最前線で推進してくださっています。
臂先生からは「エデンの園」の実際の場所について、どのような特徴の土地であったのか、語源はどうなっているのか、他の聖書の箇所で引用されているところはないかどうか、ゴルゴダの丘で処刑されるイエス・キリストと一緒に十字架にかけられた犯罪人が語ったこと、そして最後に楽園感を述べられました。
個人的には「エデンの園」というと神に創造された人が神との約束を破り楽園から追放されるという人類最初の罪が生まれた場所とのマイナスな印象や試練の印象が強かったのですが、砂漠の中のオアシスをイメージする語源であることを背景に神より送り出される場所、再び戻ってくる場所、最終的に目指す場所・到達する場所と理解しました。また同時に物や欲求が満たされる楽園感ではなく、どんな大変なときにも神様が共にいてくださっていることを感じることができる楽園感を大切にすること、という点についても強く印象に残りました。
是非このような楽園感を少しでも表現できるような「学びの園」づくりを目指し、適切に「新島楽園」という言葉を使っていきたいと思います。