新たなる出発、今思うこと新島学園中学校・高等学校 校長 古畑晶 |
私は、4月1日に新校長に就任しました古畑晶と申します。よろしくお願い致します。
私は、以前ICU(国際基督教大学)高等学校で数学の教員をしておりました。
今から約40年前、日本が高度成長期に入り海外で活躍する日本人が増加しました。
しかしながら、その子女を受け入れる日本の学校がありませんでした。そこで、ICUに帰国子女受け入れの学校を創って欲しいとの要望があり、ICU高校が設立されました。
帰国生徒の人数をどのくらいにするかが問題になりましたが、全校の2/3を帰国生徒、全校の1/3を一般生(国内生)が理想的であると判断し、決定しました。帰国生と一般生が、学びを共にし、お互いの違いを理解し合い、切磋琢磨して成長するとの理念で設立しました。
帰国生徒といっても、英語圏の生徒ばかりではなく、フランス語圏、ドイツ語圏、スペイン語圏、中国語圏など多様な国から帰国した生徒たちです。言葉だけでなく、文化も生活も違う国から帰国し、一緒に学ぶのです。考え方も違うし、複数の国々を経由して返って来た生徒たちもたくさんいます。生まれてはじめて、日本の教育を受ける生徒もいます。私たち教員も、このような生徒たちから多くを学ばせてもらいました。
このような生徒たちなので、授業も同一レベルのクラスで勉強することはできません。
4つのレベルに分けて授業をします。最上の英語のクラスは、日本の国語のクラスのように、英語の小説を読んだり、エッセイを書いたりします。一般生も、英語の能力が高い生徒が多いのですが、上のクラスに入ることはできませんので、自分の能力を高める余地があることを知るのです。
逆に、数学などで大変な思いをする帰国生もおります。海外では、ある分野を、かなり深く掘り下げて勉強するシステムを取っているようです。日本のように基本的な内容を幅広く教える制度になっていないのです。
そこで、クラス分けのテストでは、なかなか点数が取れずに下のクラスに入ってしまうことが多いのです。しかしながら、能力の高い帰国生は、順応性が高く、すぐに上のクラスに上がっていきます。帰国生は、いろいろな困難を乗り越えてきた生徒が多いので、能力的にも、適応力という意味でも優秀な生徒が多いと思います。このような学校に、設立当初から関わってまいりました。
面白いエピソードをご紹介します。開学に近い頃、野球部を設立することになりました。一般生は、丸刈りにして気合いを入れて部を強くしようと主張しました。一方、帰国生は、そんなことでは強くならないと言って、長髪で練習をやろうとしたそうです。それぞれの主張がすれ違ったのですが、お互いに話し合って、妥協点を見いだしたそうです。
日本を出たことのない者は、なかなか他国の人たちの考え方が理解できないものですが、海外に出たら違う考え方もあることを知らなければなりません。予想もつかないことがありますが、彼らなりに意見を戦わせあって結論を出していく、その姿勢が大切だと思います。新島学園の生徒たちにも、そのような柔軟性を持ってほしいと思います。
ICU高校で得たいろいろな知識を新島学園でも生かしていけたらと思っています。
新島学園をはじめて訪れたのは、クリスチャンの仲間と安中を旅して、学校見学をさせていただいたときのことでした。そのとき、岩間校長先生に学園を案内していただきました。はじめの印象は、生徒がフレンドリーで気持ちよく挨拶をしてくれたことでした。また、礼拝堂が素晴らしかったという印象でした。生徒も教員もここで礼拝が出来るなんて幸せだと思いました。その当時は、新島学園で校長をするなど想像もしていませんでした。今回校長になって、不思議な神の導きを感じました。新島学園、同志社大学、ICUは、実に関係の深い学校であるということです。安中をゆかりの地とする教育者・信仰者であった湯浅八郎博士が同志社大学の総長を務め、戦後ICUの創立に携わり学長・理事長を務められました。この安中の地で新島学園を創設し、初代校長として、また理事長として地域の教育に心を砕かれたことを知り感動しました。私も、何かお役に立てればと思い、全力を尽くすつもりでおります。
新島学園を知るため、1学期の間、授業や行事を見せて頂きました。岩間前校長先生の跡を継いで、「一人ひとりを大切にする」教育を継承して行こうと思っています。
新島学園に来て、クラブ活動や、様々な活動に励んでいる生徒たちを見て、とても才能のある生徒たちが多いことにびっくりしました。また、このような生徒たちを先生方が良く指導していることにも感心しました。このように活動を、きちんと発表し、文章に書くことができればAO入試などでも良い成果を上げることができるのではないかと思います。自分の良さを、もう少し自信を持って主張することができれば更によいのではないかと思います。今年は、学園祭の年であり、様々な出し物を見せてもらいました。聖歌隊の賛美やハンドベル、演劇部の演技、管楽団や弦楽団の演奏、に魅了されました。普段の練習の成果が出せるよい機会だと思いました。また、運動部の生徒たちも頑張っています。ソフトボール部は、今年のインターハイで優勝するほどの実力です。しかしながら、運動部の生徒は、きちんと学業成績もとっていないと、練習に出してもらえないとのことです。さすが文武両道の学校です。
新島学園の取り組みにおいて、多様な特色のある授業を見せてもらいました。中学生の技術の授業では、工芸教室を行っていました。現代は、使い捨ての時代だと言われています。安価な粗悪品を使い捨て、地上にゴミを増やす時代です。それによって、生態系も変わってしまいます。神は、人をこの地上を守るようにお造りなったのです。単にものを作るだけではなく、愛着を持って作品を大事にするという心を育てることが重要だと思います。
高校では、進路指導の一環としてキャリア教育を行っています。様々な施設を訪問したり、大学訪問や講演会などを行っています。
また、グローバルプログラムとして講演会、海外留学やエンパワープログラム、セブ島の英語研修など多彩なプログラムが用意されていました。
更に、2学期からの新たな学園の取り組みを楽しみにしております。
今年度の学園年間聖句を記します。
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」(マタイによる福音書6章33節)
私たちは、いつも『何を食べようか。』『何を飲もうか。』『何を着ようか。』と心を煩わせています。神は、すべてのものを備えていてくださるのです。神を信じる者には、最上のものをくださるのです。
2019年度総会より
最後に、新島学園の元教員による不祥事のために同窓生の方々に大変ご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。第三者委員会を立ち上げ、学園を刷新して行く覚悟でおりますので、ご支援賜りますようよろしくお願い致します。
「学園だより」に書かせて頂いた「フランシスコの平和の祈り」をもってご挨拶とさせていただきます。
フランシスコの平和の祈り
主よ、わたしを平和の器とならせてください。
憎しみのあるところに愛を、
争いのあるところに許しを、
分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りがあるところに真理を、
絶望があるところに希望を、
闇あるところに光を、
悲しみあるところに喜びを。
ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
理解されるよりも理解する者に、
愛されるよりも愛する者に。
それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
赦すことで赦され、
自分のからだをささげて死ぬことによって
とこしえの命を得ることができるからです。