息を合わせる
学校法人新島学園 理事長 学園長 湯浅康毅 |
2020年度新島学園中学校・高等学校同窓会根笹会会報紙『根笹』発刊誠におめでとうございます。本年度より学園長を兼務させていただくことになりました湯浅康毅でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
立見会長様はじめ根笹会本部及び各支部の皆様には日頃新島学園へのご協力を賜り、また現在歩んでおります10年ビジョン「NIIJIMAGAKUEN GRAND DESIGN 2027:木を育てる。」に関する事業に対しても引き続きのご理解とご支援を賜り厚くお礼を申し上げます。
新島学園は現在第4次中期経営計画の最終年度に入り、事業の総括と共に来る第5次中期経営計画の策定に入っております。事業計画の骨子は70周年記念事業の中でお示しした30年ビジョン「NIIJIMAGAKUEN GRAND DESIGN 2047」に向かいつつ、激しい時代の変化に対応しつつ、新島学園らしさを新たにしていく取り組みを進めております。
特に昨年は母校の元教員による刑事事件が発生した関係でこれまでの運営体制自体が問われ、それ以上に母校の存在意義にまで影響が及び社会からも厳しく問われました。第三者委員会からの報告・提言を受け、本学のコンプライアンスとガバナンス機能の改革を目指すため現在改革委員会を組織し、新島学園を象徴する言葉として長年共有してきた「自由」について検証と再定義を行っております。再び新島学園の「真の自由」を取り戻すことが出来ますよう尽くして参ります。
加えまして今年は世界中に影響を及ぼしている新型コロナウイルスの関係で同窓会の皆様とは直接的な対話の時を持つこともままなず、紙面やウェブ上を通じて一方通行のご挨拶となってしまい心苦しい毎日が続いております。再び全世界で再感染が広がっている中にあって同窓生やご家族の皆さんの健康が守られますことを心からお祈りしております。
さて、今回はこの場を借りて全同窓生に対してというより、卒業したばかりの皆さんをも含めた60期生以降の皆さんに対して私が現在感じていることを応援の意味も込めてメッセージをお伝えできたらと思います。
60期生以降というと丁度私の子供の世代くらいに当たるかと思いますが、皆さんは地球の大きな時間軸の流れの中で、特に自然と対峙する象徴的な場面に遭遇してきているかと思います。記憶の新しいところでは2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、昨年の台風19号、そして今まさに対峙している世界的に猛威を振るい人と人との基本的なコミュニケーションの在り方さえ変わってしまっている新型コロナウイルス(COVID-19)の影響等大変な激動の中、今この時を過ごしておられるかと思います。中には既に就職され会社勤務をされている方や、研究活動に向き合われている方、創作活動に打ち込んでいる方等社会に出られて様々な経験を積まれている途中でようやく自分の仕事のペースもつかめるようになってきているかと思います。現在大学等で学ばれている皆さんは休校措置によりキャンパスライフを満喫するどころか急なリモート授業への対応に追われ、生活のペースを崩してしまっている人も少なくなかったかと思います。同時に様々なことを自粛しながら新たな生活様式に無理やり体を慣らしている最中かとも思います。
今回の世界的なパンデミックを目の当たりにして思うことは、目に見えない新たなウイルスという存在の前で人類は成す術が無いということと、平等であるということです。成す術が無いということは、一切避けることは出来ずただ受け入れるしかないことです。よく人類が滅びるとしたら核戦争ではなく、未知のウィルスだ、と言われていましたが、今回世界中で120万人以上の方が亡くなりました。そして多くの犠牲を払うことで免疫をつけ未知のウィルスを克服していくというこれまで人類が繰り返し経験をしてきたことに今まさに向き合っています。
また平等という表現を使ったのは、これまで社会的な格差が生活水準と比例しているとされていましたが、今回のウイルスに至っては数多くの権威のある方々から恵まれない環境にある方まで、また性別、学歴、職業別、人種、宗教、価値観等区別なく全ての枠を超えて平等に影響を受けていると思っています。
現在、私は学校法人新島学園の経営者である理事長として、そして今年からは教学面を担う学園長として学長先生、校長先生とともに学生、生徒の皆さんの成長をサポートさせていただくことにも関わらせていただいておりますが、一方で私は現在安中市内で江戸時代後期より続く老舗の醤油醸造元の7代目当主として日本の伝統文化を継承する立場も担っています。
この中で私は2つの考えを大切にしております。一つは醤油づくりでは目に見えるものは限定的であって、実は目に見えない菌とのお付き合いがほぼ全体を占めるということです。もう一つは兎角自分が醤油を作っていると思いがちですが、それはとんでもない間違いで、人も醤油づくりの工程の一つである、ということです。長年積み重ねてきた醤油づくりの環境の中で「作らせていただいている」という感覚でいます。
いわば私は生まれた時から成長過程において醸造蔵で長年育まれてきている目に見えない菌と一緒に過ごしてきており、菌の魅力と怖さについては感覚的に人一倍体で理解をしているつもりです。
現在人工知能の研究が加速し、米国の未来学者で人工知能研究の世界的権威であるレイ・カーツワイル博士は、「2029年にAIが人間並みの知能を備え、2045年に技術的特異点(シンギュラリティ)が来る」と提唱しており、この問題は2045年問題と呼ばれています。
また国内では人づくり革命・人生100年時代・超スマート時代(Society 5.0)の到来に向けて今後IoTやAI技術を使って少子高齢化・地域格差・貧富の差などの課題を解決し、一人ひとりが快適に暮らせる「人間中心」の社会を実現する方向に向かっています。
個人的には今回我々が対峙していることは、この人間中心の社会構造に対する自然界からの警鐘にも思えてきます。しかし新型コロナウイルスの感染の広がりが懸念されている中にあって比較的流行期から比べると落ち着いている現在では(10月現在)、経済活動の活発化と共にまた元のような論調に戻り、学校現場でもICT化をどのように効果的に進めていくかを議論することより、どのように導入するのかが目的化し学生、生徒が不在のままハードを整えることの方を加速させているバランスを欠いた状況なのかもしれません。
2017年に新島学園が創立70周年を迎えた時に記念式典の最後にお読みした聖句があります。新約聖書コリントの使徒への手紙1:3章6節「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」です。当時のテーマが「種を蒔く」でしたので、植物が育ち大きくなっていく有機的なイメージと聖書の教えを象徴した箇所として、新島学園が神の計画の下、この地に備えられたことを憶え、新島学園の誓いとしてお伝えいたしました。
ただこの箇所の背景は今から約2000年前のギリシャのアテネ近くのコリントという町での宣教について書かれたものですが、この時も神が中心なようで実は中心でなく、人中心で物事が動いていた様子が見て取れます。
自分は正しい、自分の理解が正解、自分が自分がと主語が常に自分中心になってしまい、反対意見を持つ者には敵対心をもってねじ伏せることが起きていたかとも思います。
皮肉にも2020年の今も「人間中心」な状況は同じように感じます。人の生活様式は時代の流れによって変化しても本質はあまり進化しないのかもしれないです。
今回のテーマである「息を合わせる」についてですが、個人的には70周年の時に選んだ聖句と関連があると思っています。それは主語を「自分」ではなく、「自分以外」を主語にする行為ということです。自分が息をしているのではなく、隣の人と息を合わせるということです。
何か嬉しいことがあったらその喜びを分かち合いたい、美味しいものをみんなで美味しいねと言いながら食べたい、美しいものの価値を一緒に共有したい。何か苦しんでいたり困っている人がいたら、一緒寄り添いお互いの時間を共にする。これらはみんな全て「息を合わせる」ことになるでしょう。聖歌隊の皆さんも息を合わせることが出来ないと、他人の呼吸を感じることが出来ないとあの美しいハーモニーは生まれないでしょう。
もう一つ大切なことは、息を合わせるための「空気」についても意識をもってもらいたいと思います。空気というともう当たり前すぎて意識さえしないかと思いますが、当然ながら空気が無いと我々は生きていくことが出来ません。いま現在物理的に隣の人とアクリル板などで仕切られていますが、空気自体は共有しているわけです。
地球が46億年前に誕生し、海中の生物が二酸化炭素を取り込み酸素を作りだし、その後大気にオゾン層を作り現代の生態系が生まれていますが、我々は大げさでなく46億年分の生命の営みから生まれ育まれてきた空気を吸って分かち合って生かされているということが言えるのではないでしょうか。
つい最近中高がある安中キャンパスのすぐ近くに2000㎡の農地を地域の理解者よりお借りし自然栽培・循環型農業を実践するため土づくりから菜種の栽培を学校関係者で始めました。始めました(画像参照)。2018年以降活動が休止中だった新島学園ファームの復活です。ただこの土地は約10年間使われていなかったかつての田んぼで、雑草がはびこって土を耕すどころではありませんでした。群馬県の農業改良センターの指導員の方にも確認してもらいましたが、その指導は強力な除草剤を散布し、雑草を根から枯らして土を入れ替えることを提案されました。
その提案に違和感を覚え、他にやり方が無いか調べたところ、結局以前からのお知り合いの耕作放棄地/遊休農地の復活をいくつも手掛けているプロの農家さんに相談することになりました。その農家さんがまずおっしゃったのは、「除草剤なんか撒いたら、これまで長い時間をかけて育まれてきた土壌菌も殺してしまう、意味が無いこと」と教えてもらいました。
そこでその農家さんが何を行ったかというと、雑草をトラクターで刈りながら細かく裁断し、のちに土に混ぜて栄養にされました。その作業を何度も繰り返し雑草の成長を押さえ、その後見事に土を復活させました。
9月末に菜種の種をインターアクト部の生徒たち、PTA、同窓生の皆さん、この取り組みを支えて応援してくださる安中ロータリークラブや地域の企業の皆さんと学園関係者総勢 30名ほどで蒔きましたが、もう既に発芽し日に日に背が高くなりその成長を毎日確かめることができるようになっています。
今回の菜種の種蒔きのために遊休農地を改善し土づくりをした経験を通して感じたことは、今年は新型コロナウィルスの影響で様々な学校行事が中止・延期となる中だからこそ、多くの関係者に協力いただき屋外でこそ実現できた取り組みであったと思うとことでありました。
もう一つは農薬を使わない土地なので様々な生物を見かけます。時には嫌いな人は卒倒しそうな蛇だとかトカゲなどをはじめ多種多様な昆虫も確認できます。田んぼの季節に現れる用水路には魚やザリガニも見かけることが出来ました。そんな様子を見ていると、空気を吸っているのは人間だけではないんだな、農場で見かける生物たちもみんな同じ46億年分の空気を分かち合っているのだなと実感し不思議と感動した次第です。
まさか50歳になってこのよなことで感動するなんて不思議な気持ちでいましたが、そんな時ふと周年の式典でお読みした聖句が思い起こされ、今回体験したことを以下のように解釈してみました。
「我々は土地を耕し、みんなで種を蒔いた。しかし育ててくださったのは神です。」
命あるもの全て土から生まれ、土に帰っていく。それが自然の摂理だといいます。
いま人とのコミュニケーションが根本から覆されようとしいます。
こんな時だからこそ、自分だけを主語に置かず、自分が生きているのではなく、生かされていることを感じること、息を合わせることの大切さを知ること。そこに神の存在が常にいてくださること。
このことを今回のメッセージとして、特に60期生以降の同窓生の皆さんに送りたいと思います。
皆さんの健康が守られ、難しい時代にあっても良心を備えた人として益々活躍されることを心からお祈りしております。