校長就任にあたって新島学園中学校・高等学校 校長 小栗仁志 |
新島学園中学校・高等学校同窓会根笹会 会報「根笹」の発行、おめでとうございます。また、平素より同窓会根笹会の皆様には、新島学園中学校・高等学校の活動にご理解、ご協力、ご支援を賜り、この場を借りて改めて御礼申し上げます。この4月に新島学園中学校・高等学校の校長に就任しました、小栗でございます。まだまだ力不足の若輩者でありますが、重責を担うために粉骨砕身努力する覚悟です。どうぞ、これからご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。
新島学園中学校・高等学校は1947年に、「新島襄の教育理念」に基づいた教育を、新島襄ゆかりの地である上州安中にて実現するために創立されました。校長になって目指すところはまず、新島学園の建学の精神である新島襄の教育理念の再確認と深化だと考えています。新島襄の教育理念は主に三つの柱から説明されます。
一つ目はキリスト教主義です。新島襄は留学中のアメリカで洗礼を受けてキリスト教徒となります。最終的に彼は1874年に、アメリカのキリスト教会により、牧師・宣教師として日本にキリスト教を広め教会を設立するために派遣される形で帰国しました。また新島襄がフィリップスアカデミー、アーモスト大学、アンドーヴァー神学校で受けた教育はいずれもキリスト教主義の教育でした。新島襄は自分が受けて良かったと思った教育を日本でも実現したかったのです。新島襄にとってキリスト教主義は欠くべからざる要素でありました。
新島学園中学校・高等学校では生徒一人ひとりの信教の自由は守りつつ、キリスト教主義教育を実践しています。朝の15分の礼拝の時間は、神を礼拝する学校としての姿勢を明確にするものです。これから学校の一日が始まるその時、一旦日常から離れて心を静め、パイプオルガンの音色に耳を傾け、讃美歌を歌い、聖書の御言葉と礼拝メッセージに心を傾けます。卒業生の皆さんの多くが懐かしんでくれるひとときです。礼拝は本校の魂です。朝の礼拝をより充実させ、生徒に神の御言葉に触れる機会を増やします。
また、キリスト教主義は単に礼拝や聖書の授業を行っているということだけではありません。教育は何が良くて何が悪いのか、価値基準がなければできないものです。キリスト教主義による教育は、学校の持つ価値基準が聖書の御言葉とキリスト教の伝統に基づかなければなりません。聖書の語るキリスト教の精神は、神と人、人と人との間の愛と信頼に裏打ちされています。私達は愛と信頼に基づいて生徒と接する必要があります。「言うは易く行うは難し。」教職員も限界を持つ人間ですから、そう簡単に理想通りにはいきませんが、本校の中に愛と信頼が溢れ、「キリストの香り」(コリントの信徒への手紙二より)が漂うようになることを願っています。
在校生、保護者、また卒業生の皆様からも「新島学園は生徒と教員の精神的な距離が近い」とよく言っていただきます。学生歌1番にて「友は我が師、師は我が友」と歌われてきた伝統が、まさにそのキリストの香り、空気感を醸成しているのだと思います。私は日本基督教団の牧師であり、学校付きの牧師として、また、宗教科・聖書科の教員として本校で働いて参りました。その経験を特にキリスト教主義の発展のために活かしていきたいと思います。
二つ目は自由主義です。新島襄は安中藩の侍として生きていた時、漢学や蘭学などの学問の魅力に目覚めます。彼はこれからの安中藩のために、また日本のために、世界の最先端の学問を学ばねばならない、学びたいと考えていました。しかし当時の安中藩主の板倉勝殷はそれを認めず、自分の命令を聞いていればいいとの対応でした。新島襄は自らのやりたいこと、やるべきと考えたことを貫くために当時の国禁を犯して国を抜け出しアメリカへと向かったのです。
アメリカに着いた新島襄が、後に養い親となるハーディー氏に最初に問われたのは「あなたは何がしたくてアメリカに来たのか」でした。武家社会・封建社会では新島は自分の意見を聞いてもらえず、上からの命令に従うことを要求されてきました。それに対し、新天地アメリカでは自分の意志を尋ねられ、逆に自由に行動することを求められたのです。その感動は大きく、新島襄は自分が学校を創立した時に、自分の考え方を学生に押しつけることはせず、学生の意志と自由を極力尊重しました。本校もその新島襄の考え方を引き継ぎ、生徒の自由を尊重しています。
もちろん学校である以上、最低限の秩序は必要ですし、その秩序を守るための規則も必要です。しかし他校に比べればかなり自由度の高い学校となっていると思います。先に紹介した「新島学園は生徒と教員の精神的な距離が近い」との評価は、生徒の意思を聞き届けようという姿勢があることを示しているのではないでしょうか。生徒の意見を聴くために、教育相談に今までも力を入れてきましたが、これをより強化していきたいと思います。
また、これからは学校の規則についても生徒と学校が対話を深め、生徒の意見を学校の方針の中に取り入れられるように努力していきたいと考えています。
三つ目は国際主義です。幕末の日本を脱国しアメリカ・ヨーロッパに留学をした新島襄は日本の国際人の草分け的存在です。新島は同志社英学校設立後、多くの学生に海外への留学を勧め、多様な価値観に触れることを奨励しました。本校も英語教育に力を入れると同時に、短期、長期の留学プログラムを始め、異文化交流のプログラムを積極的に採用し、国際的なセンスを持った生徒の育成に力を入れています。欧米に偏った国際交流ではなく、アジアの人々との出会いも大切にしていきたいと思います。
以上、キリスト教主義、自由主義、国際主義の三つの柱を大切にしつつ、建学の精神の深化、発展に心と力を尽くしたいと考えております。
最後に少し学校の近況についてご報告を。
今年度の学校の歩みの中での大きな変化は、やはり新型コロナウイルス感染防止のための制限が大きく緩和されたことでしょう。今年の5月から新型コロナウイルス感染症の感染症法上の取り扱いが2類から5類へと変更され、マスクの着用ルールを始め、従来の行動制限が大幅に緩和されました。
長く続いたマスク生活に慣れきったためか、マスクの着用が任意になった後もマスクを着用して過ごす生徒が多かったのですが、今年の夏が大変な酷暑であったこともあり、マスクを取る生徒も大分増えてきました。徐々にではありますが、新型コロナウイルス流行以前の様子がよみがえり始めています。
2019年12月から世界的な流行が始まった新型コロナウイルス感染症は、学校教育にも大きな影響を与えました。
2020年の春に行われた全国一斉臨時休校に始まり、授業そのもの、様々な行事、部活動の活動や大会など、生徒が楽しみにしてきた学校生活が大きく制限され、この間に在学していた生徒達は本当に悔しく、悲しく、辛い思いをしてきました。当たり前のように思っていた、学校に皆が集まり、授業や様々な課外活動にいそしむ日々が、こんなにも愛おしく大切で、神の恵みの上に成り立っていたことを痛感させられました。
本校のような全日制普通科の学校は、学校に皆が集い、教職員、生徒、保護者、近隣の方々を含め、そこに集う者の人格と人格が触れあうことでこそ、あるべき教育が可能となります。神と人間の人格的交わりが基本となるキリスト教主義の学校としては、なおさら重要なことです。そのような日々をようやく取り戻しつつあることは、本当に嬉しく、神に感謝したい思いです。
特に象徴的だったのは6月17日と18日に実施された第33回学園祭でしょう。2年前の前回は外部のお客様をお招きせず、大幅な企画の制限を行った上で生徒だけでの開催でした。実に4年ぶりに外部のお客様をお招きしての開催となりました。
感染対策を行いつつも、模擬店の実施など新型コロナウイルス流行前に近い形で行うことが出来ました。1日目に2,167人、2日目に2,668人、両日合わせて5,000人に近いお客様にご来校いただき、本当に盛大に行うことが出来ました。
酷暑の中での開催で熱中症も心配されましたが、そんな中での生徒達のはじけるような笑顔がとても印象的でした。文化祭や学園祭を契機とした新型コロナウイルス感染拡大が県内の他校の事例から報告されていましたが、本校では幸いに流行がほとんど無く、神の守りを実感させられた学園祭でもありました。
国際交流プログラム、部活動での大活躍など、他にもたくさんご報告した生徒達の活躍がありますが、それは別の機会に回したいと思います。これからもどうぞ、新島学園中学校・高等学校の歩みをお支えくださいますよう、お願い申し上げます。