根笹会からのお知らせ同窓会報「根笹」イベントスケジュール同窓会について地区会情報母校情報
トップページ » 同窓会報「根笹」 » 新島襄先生の安中来訪について

新島襄先生の安中来訪について

二期生 淡路博和

【4】

再び欧米諸国へ

明治17年(1884)41歳

4・6 神戸にて英国汽船Kiva号(船長ハリス・2104トン)に乗船、八重子夫人等の見送りを受け祈祷して別れる。午後7時神戸を出港、長崎に向かう。

欧米より帰国

明治19年(1886)42歳

1・25 東京から安中へ出発。
1・26 午後安中に着く。教会で1時間余話をする。次いで原市へ行き病床の半田宇平次を見舞う。閑談して夕食をご馳走になり夜に入って安中に帰る。
1・27 前橋の海老名弾正を訪問し、午後、新築された教会堂でパブリック・ミーティングが開かれ話をする。午後4時20分海老名と共に高崎へ、7時半から1時間ほど説教をし、更に旅行の話を1時間ほどする。11時に宿に帰る。
1・28 高崎から午後1時45分発の汽車に乗り、5時半 東京着。
[安中滞在2日間]

伊香保来訪

明治21年(1888)45歳

7・24 伊香保で静養のため汽車で前橋に向かう。12時19分前橋到着。桑町の住吉屋国太郎方に入る。
7・27 前橋より駕篭にて渋川を経て夕方5時前に伊香保の木暮武大夫方に到着する。
8・6 木暮より千明三郎の別荘に移る。
8・13 八重子夫人京都を出発安中に向かう。
8・16 八重子夫人が伊香保に着く。
8月下旬 新島公義の母親が九十九村国衙から伊香保に来て3週間ほど滞在する。
9・14 夜、新島公義と河井某女との婚約の報が届く。
9・15 午前10時 伊香保を出発、新島は山駕篭で、八重子夫人は人力車で山を下り、前橋桑町の住吉屋に2泊する。
9・16 八重子夫人は午前より安中へ行く。
9・17 八重子夫人は新島公義の実家国衙へ行く。
9・18 新島は2番列車で東京に向かう。
[前橋・伊香保滞在57日間]

前橋来訪

明治22年(1889)46歳

11・25 東京を出発、午後4時頃前橋に到着、関農夫雄方に泊まる。
11・26 佐藤与三群馬県知事、曽我部道夫群馬県第二部長に面会、井上馨と青木周蔵の紹介状を渡し、大学の計画と募金につき協力を依頼する。
11・27 夕方 第三十九銀行の笹尾精憲・松本真三町長ら有力者を倶楽部に招いて小集会を開き大学募金を訴える。
11・28 松本町長の斡旋により午後2時より臨江閣にて町役人60人に演説する。夜、共愛女学校教師ミス・ジェッドの夕食に招待される。寒さのため腹痛を発す。
11・29 胃腸カタルのため苦しむ。
12・13 募金運動を中座して午前11時50分の列車に乗り、午後3時上野着。
12・15 大磯でしばらく休養するよう徳富猪一郎に勧められる。
12・27 正午 東京を出発して大磯の百足屋に入る。
[前橋滞在33日間]

永眠

明治23年(1890) 46歳11か月

1・23 午後2時20分永眠、病名は急性腹膜炎症
1・27 同志社チャペル前のテント張りの会場にて告別式、参列者4000人、若王子山頂で埋葬式、同墓地に埋葬、午後5時埋葬式終了

 さて、8回に及ぶ安中訪問、それに伊香保・前橋滞在を加えると、合計して新島先生の滞在期間は何日になるでしょうか。集計したものが左表です。

第1回:不詳 第2回:27日 第3回:7日 第4回 4日
第5回:8日 第6回:8日 第7回:4日 第8回:2日
小計:60日
伊香保:57日 前橋:33日   小計:90日
総計:150日

 

1  2  3  4  5


新島同窓会報「根笹」

新島学園中学校・高等学校 新島学園短期大学